枚方の由来や、歩んできた歴史をご紹介します

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歴史探訪

大阪府枚方市歴史探訪
枚方市の概要
枚方市は、大阪府の北東の端、京都府と奈良県の境に位置しており、西は高槻市と隣接しています。江戸時代には京街道の宿場町として栄え、歴史文化遺産が数多く残されている地でもあります。そうめんや地酒造りに適した風土から、伝統産業として現在にも伝えられています。

枚方のあゆみ
平安時代、このあたりは交野ヶ原と呼ばれ、都に近い遊猟地として、天皇や貴族が鷹狩に訪れていました。在原業平は「伊勢物語」や「古今和歌集」で、交野ヶ原にいた悲運の皇子、惟喬(これたか)親王のことを詠んでいます。

南北朝時代から戦国時代にかけて、市域は戦場となることが多く、八幡市境の洞ケ峠や長尾の荒坂山では激しい戦が繰り広げられました。戦乱が続くと、民衆は身の安全と心の平安を求めるようになり、浄土真宗が勢力を拡大していきます。蓮如が建てた光善寺は、摂津・河内地方における浄土真宗布教の拠点となり、招提では敬応寺を中心に寺内町が形成され、自治権を確立するまでに至りました。

江戸時代、全国的に宿駅制度が整備されると、市域を通る京街道の宿場町として、岡新町・岡・三矢・泥町の4ヶ村は枚方宿として栄えました。また、淀川の中継港でもある枚方は、京都・大阪間の交通の要衝となり、枚方宿には本陣のほか、商店などが軒を連ね、枚方浜は船着場として賑わいました。三十石船の乗客に「餅くらわんか、酒くらわんか」と野卑な言葉を浴びせて酒肴を売りつけた茶舟は「くらわんか舟」と呼ばれ、枚方の名物になりました。

明治時代になると宿駅制度が廃止され、以前の活気は影をひそめましたが、警察署・裁判所・郡役所などが設置され、枚方は北河内の行政の中心地としての役割を担いました。1910年には京阪電車が開通し、大阪のベッドタウンとしての歩みを始めます。また、この頃「枚方菊人形」が秋の風物詩として全国に知れ渡ることとなりました。

1896年、枚方に禁野火薬庫が設置されると、その後は枚方兵器製造所・香里火薬製造所を開設され、一大兵器生産地となりました。そして1939年3月1日、約700人もの死傷者を出した禁野火薬庫大爆発の惨事が起こりました。この惨事を忘れてはならないと、平成元年に3月1日を「枚方市平和の日」に制定しました。

終戦後、1947年に市制を施行し、枚方市が誕生します。香里製造所跡地は当時としては大規模な香里団地に生まれ変わるなど、戦前の兵器製造のまちから住宅都市へと変わっていきました。市制施行時は4万人であった人口は、1955年に津田町の合併を経て、40万人を超えるほどの都市に発展しています。


枚方の名前の由来
地名の起源は「日本書紀」に記載されてある「白肩(しらかた)之津」に拠るといわれています。「白肩」は「白潟」のあて字で、このあたりは白波が立ち寄せる岸であったことに起因しています。上方では「し」が「ひ」に変化して発音されることが多いことから「ひらかた」と転じて「枚方」となった説が有力です。


枚方の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
 市立枚方宿鍵屋資料館
住所: 〒573-0057
大阪府枚方市堤町10-27 [地図を見る]
電話番号: 072-843-5128
開館時間: 9:30〜17:00(入館は16:30まで)
休館日: 火曜日(祝日の場合は翌日休館)、年末年始
入館料: 大人・・・200円 小中生・・・100円







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